国語と数学のすゝめ。勉強する理由、それを実生活に活かすための方法とは?
誰もが1度は持ったことがあるであろう疑問。
「どうして勉強するの?」
教育の機会は小学校の頃から私たちに平等に与えられ、そしてある意味強制されてきました。そんな中で「こんなの勉強しても将来の役に立たない」と感じたことがある人はきっと多いはず。
私自身もそう思っていましたが、国語や数学を今改めて考えてみると、思考の根本にはこの2教科があるなって思うわけです。
実用的な勉強や社会的な経験をするのも大切ですが、自分の成長に行き詰ったときは国語と数学に帰ってみるのもありだと思います。
そこで今回の記事では、国語と数学を学ぶ意味について、そしてそれを実生活に活かしていくための術を考えてみたいと思います。
【目次】
それぞれの本質
国語を学ぶ意味を「大学入試センター試験」から考えてみる
みなさんは「国語」という教科にどのようなイメージを持っていますか?
国語を学ぶ最初の理由としては、「母国語を使えるようにする」というものがあると思います。ただし、これは小学校の間にある程度できるようになるものですよね。
以降の国語、特に「現代文」という科目はどういったものなのか。それは入試問題を見ればよく分かります。
日本でもトップクラスに優れた試験である大学入試センター試験を例に考えてみましょう。センター試験の問題のほとんどは、「言い換え・対比・因果関係」で構成されています。つまりこの3点(を用いて難解な文章を読み解くこと)こそが、我々が現代文という科目から学び取るべきものなのです。
「言い換え」とは?
対比・因果関係に関しては、後述する数学が内包しているものなので、ここではあえて触れません。
今回特に注目してみたいのは「言い換え」。そして現代文における言い換えとは、「抽象⇔具体」のことです。
ここで、抽象と具体について簡単におさらいしておきましょう。
「具体」とは、簡単に言えば私たちの周りにある出来事のことです。要は事象そのままを表現したものです。
「抽象」とは、その事象からいくつかの要素を取り出したものです。具体的なものの一部の性質や側面のことを言います。
例えば、具体的なものであるこの記事を抽象化すると「勉強に関する記事」「一般人の徒然というサイトにある記事」など様々な要素を取り出すことができます。
私たちは現代文を通して、物事を抽象化し、そして抽象的なものを具体化して考えることができるようになります。
数学から学ぶ論理的思考と問題解決能力
さて、ここで一度話を数学に変えます。
数式というのは究極に抽象化された言語です(東進のCMでも怪しいサングラスのおじさんがそのようなことを言ってましたね)。思考を進めていく上での基本である「言い換え、対比、因果、そして集合関係」を簡単な記号で無駄なく表現することができます。
その言語を用いて、論理的な課題解決能力を育んでいくのが高校までの数学です。
数学をただの計算練習として学んでいる限り、せいぜい情報処理能力程度しか身につくことはないでしょう。しかし「何故その数式を使うのか」「どうしてその証明が成立するのか」考えながら学んでいくことによって、思考のプロセスを身につけることができます。
数学の問題を解くとき、まず我々は問題文を分析し、抽象化します。次に、抽象化した問題文に対し、適切な解法を自分の記憶の中から探ります。そして見つかった解法を実際の問題文に適用、具体化します。その繰り返しで最後には答えを導き出します。
このような思考のプロセスは数学の問題に限らず、あらゆる物事に対して適用することができます。私たちは数式という最も単純な言語を通して、あらゆる問題を論理的に解決する術を身につけていっているのです。
実践的な国語と数学
国語と数学を用いて物事を考える方法論
ここまでの内容をまとめると
- 国語からは「抽象⇔具体」を学ぶことができる。
- 数学からは思考のプロセスを学ぶことができる。
これを組み合わせ、ここに社会経験を加味することによって、あらゆる物事に対処する力を手に入れることができます。
青字:国語を通して身につく力
黄色字:数学を通して身につく力
緑字:実践を通して身につく力
もし思考に行き詰まったときは・・・?
たまにどうしても解決法を見出すことができないような問題に遭遇することがあります。そういうとき考えられる理由は以下の3点です。
- 国語力、数学力が足りていない。
- 経験不足。
- 問題に合った経験を引用できない。
3つ目に関しては、上の図でいう曲線部分のことです。
私たちは問題と経験をそれぞれ抽象化し、問題に対して同じ要素を持つ経験を適応することによって解決を図ろうとします。もちろん2番の経験不足であれば、問題に合った経験を引き出すことができないため、解決することはできません。しかし、どうしても経験したことのないことに対して、解決策を求められるときがあります。そういうときに必要になるのは、またまた数学です。
視点の変更と拡大解釈
未知の状況に遭遇したときに私たちが頼れるのも、やはり過去の経験です。問題に対するアプローチの視点を大きく変更することによって、全く別の方向からの解決を試みることが可能になります。また、問題をさらに大きな視点から見下ろすことも解決に繋がります。このような力も数学によって育まれるものです。
それでもどうしても解決することができないことがたまにあります。その場合は自分で理論を組み立てるほかないので、実験や仮説といったものが必要になってきます。
まとめ
というわけで国語と数学の重要性について話をしてきました。
冒頭で述べたように、国語と数学というのは思考の根本にあり、決して外すことのできないものです。もし、なにか考え事に行き詰まっているときは経験や知識不足というより、国語力・数学力不足の可能性があります。
そういうときこそ、基本に立ち返ってみるのも大切です。